2025年10月 栗田 暁 さん
(東京三田倶楽部 評議員)
会員紹介シリーズ 第3弾!

─ 最初に、自己紹介をお願い致します。
栗田: 1958年6月、東京で生まれました。67歳になります。新宿区立の小学校から普通部に入学、塾高、経済学部で計10年、塾で学びました。1981年に大学を卒業して日本興業銀行に入行、同行に27年間勤務、2008年、50歳で銀行に紹介いただいた(株)アーレスティに就職、17年になります。東京三田倶楽部には2008年10月に入会させていただきました。入会2年目で会員委員会副委員長、4年目で理事・委員長を務めさせていただきました。会員委員長は忙しい仕事でしたので、ここで一区切りと思っていたのですが、委員長の翌年から副代表を3年、2015年と2016年の2年間代表を務めさせていただきました。その後は監事を務めさせていただき、2022年に倶楽部が一般財団法人になった以降は評議員として倶楽部の役目をいただいています。
─ 慶應義塾を選ばれた理由は?
栗田: 父が慶應義塾大学医学部を卒業、勤務医として働き、4歳上の兄が志木高校に入学、私も翌年、普通部に入学させていただきました。 父の書斎には小さな写真立てがあり、その写真は福澤先生でした。
─ 東京三田倶楽部のご入会のきっかけは?
栗田: 興銀入行同期100名のうち、塾卒が13名、その中に普通部からの友人、藤波陽一郎君がいました。銀行では残業が多かったのですが、(株)アーレスティでは就業時間をしっかり守る風潮が浸透していました。私はそれまで東京三田倶楽部のことを全く知らなかったのですが、私より先に入会していた藤波君に誘われ、倶楽部に行きました。2回目に「入会しない?」と誘われ、2008年10月に入会させていただきました。
─ ご趣味は?
栗田: 日本酒を楽しむことです。熱燗もいいですが、春夏秋冬、季節に関わりなく冷酒を好んでいただきます。何人かで飲むのも楽しいですし、一人で静かにゆっくりと飲むのも好きです。
─ これ以外にご興味があるものは?
栗田: 合唱を続けています。小学生の5年間、東京少年少女合唱隊で歌っていました。グレゴリオ聖歌などを歌う合唱団ですが、NHKの「みんなのうた」などにも出演していました。その後、歌う機会がありませんでしたが、銀行を卒業し、メーカーに就職させていただいた機会に、男声合唱を再開しました。興銀OBの方が中心となって作った、指揮者以下13名の小さなグループですが、毎月2回集まって練習を続け、これまでに7回のコンサートをささやかに開催させていただきました。
─ 今後自分がやってみたい、やりたいことは?
栗田: 65歳定年が多い世の中で、67歳の今でも働けることは有難いことです。自分が出来ることであれば、仕事を通じてこれからも社会と関わっていきたいと思っています。
─ 東京三田倶楽部に今後望むこと? 理想とか?
私が入会した2008年から7年間、倶楽部は赤字が続いていました。2015年に代表のお役目をいただき、年齢が上の会員、私よりも倶楽部歴が長い会員の方々からは、入会してまだ7年の私で大丈夫だろうか、と心配下さる気配を多々感じていました。赤字が続いたら倶楽部経営が成り立ちません。私は売上を上げることや、会員を増やすことにもちろん努力しましたが、一番心を砕いたのは「入って良かった、楽しい」と思っていただける倶楽部を作っていくことでした。その一心で力を合わせていった結果、倶楽部は8年ぶりに黒字になりました。入会者は、前々年の2013年が26名、2014年は43名でしたが、2015年は66名になりました。何もかも、皆さんと力を合わせることが出来たお陰です。しかし、1年間の結果を報告した総会では、8年ぶりの黒字を喜ぶ声よりも、これはこうできないのか、あれはこうならないのかなど、現状に満足しない声を沢山いただきました。総会後、会員有志の仲間たちと飲みにいき、あれだけ頑張ったのに・・・という声が聞かれました。私も本音は同じでしたが、次の1年も「入って良かった、楽しい」倶楽部を目指して汗をかき続け、2年目は入会金収入加算前で既に黒字となりました。その年の総会では、多くの会員が結果に満足して下さったようでした。そこで私は気づいたことがあります。「入って良かった、楽しい」と思っていただける倶楽部を目指して汗をかいて来て本当に良かった。倶楽部経営の結果は、会計上は金銭の収支という形で表されますが、それが黒字になっただけでは会員の心は満たされません。「会員の心も黒字になること」、これが倶楽部にとって大切なことなのだと思います。
(代表当時の忘れられないこと)
もう一つ、忘れることができないことがありました。東京三田倶楽部は2001年に会則を改定し、会員の定年を60歳から65歳に延長、さらに2010年に会則を改定し、会員の65歳定年を廃止するとともに、新入会員については会則に「理事会手続き承認日において満65歳未満」と定めました。その後、2016年3月の総会で入会年齢制限の廃止を求める提案があり、代表は会員委員会に検討を指示しました。会員委員会は7月に検討経過を理事会に報告、さらに同月、全ての委員会の意見を聴取し論点整理を加えて9月、10月の理事会に報告、その後、理事会で検討を重ねました。そして、2017年3月24日、第43回通常総会で第3号議案として「入会年齢制限廃止の件」を諮りました。
総会では、上記経緯を説明の後、次のように問いかけました。(当時の議案書(4)~(7)を転載致します。)
(4)倶楽部の目的について会則第4条では「本倶楽部は会員各自が慶應義塾創塾の精神を体し、単なる同門意識の中に留まることなく、自主独立の気概と人間尊重の立場の上に立ち、あくまで全会員平等参加と自主運営を原則としつつ幅広い交流活動を実践し、その活動を通じて相互に自己啓発を図るとともに、常に時代の先駆者として新たなる文化の創造に寄与することを目的とする。」と定めています。(現在は、一般財団法人東京三田倶楽部定款 第1章総則 第4条(目的)に受け継がれています。)
(5)創設以来、東京三田倶楽部は「現役世代」による倶楽部であることに誇りを持ち、その気風を大切にしています。その現役世代の意味が時代とともに変化しつつあります。年齢で現役であるかどうかの線を引くよりも、社会の一員として活動する姿勢を持ち続けることを現役の意味と捉えても良いのではないかと考えます。倶楽部も社会のひとつであり、倶楽部の目的を理解し実践する会員が集う限り、入会年齢に制限が無くても、現役世代の気風を大切にする倶楽部の理念はその時代とともに受け継がれていくものと考えます。
(6)60歳以上の会員が半数近くになり、同世代の塾員を会員として迎えることは徐々にではありますが自然なことになりつつあります。また、倶楽部は塾員が世代を超えて交流できる場であり、若手会員からも入会年齢制限の廃止を求める声が上がっていることは、「幅広い交流活動を実践し、その活動を通じてて相互に自己啓発を図る」倶楽部の目的への理解が背景にあります。
(7)これまで議論を重ねてきましたが、「常に時代の先駆者として新たなる文化の創造に寄与することを目的とする」倶楽部としては、入会年齢制限を廃止して前に進みたいと思います。」 第3号議案の提案内容と提案理由の説明が終わり、暫しの静寂の後、拍手を持って満場一致の賛成をいただき、本案は承認されました。実は、1年前は賛成、反対で倶楽部はまっぷたつに割れていたのですが、会員委員会を通じた各委員会との議論、そして理事会での議論を重ねたことで倶楽部がひとつになった瞬間でした。私の代表としての役割はここで終わり、議長席から降壇したのですが、仲間が努力を惜しまず丁寧に議論を重ねて下さったことを思い返し、涙が止まりませんでした。
総会で代表が降壇し、次の代表と交替する際、2年間を振り返って一言短く話すのが慣例になっていましたが、私は会員各位への一礼のみで、それができませんでした。総会が終わり、親しい仲間との懇親会で、「一言が出来なかったなぁ」と言ったら、「普段はよくお話しされていますから今日はこれでいいのです」と言われてしまいました(笑)
─ 最後に、座右の銘は?
栗田: 私は普通部の頃から慶早戦の神宮球場によく通いました。応援席入口でいただく小冊子の歌集には、3ページに塾歌、5ページに若き血がありましが、その1ページと2ページには「慶応義塾の目的」が書かれていました。
「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言うのみにあらず、躬行(きゅうこう)実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり。福沢諭吉」
私は普通部生の時にこの文章を知りました。「慶応義塾の目的」のページを切り取り、55年たった今でも大切に保管して、時々読み返し、心に刻んでいます。これを座右の銘だと思っています。